推し活クロニクル 1981年|YMOと『Dr.スランプ』、ラジオの「ハガキ職人」が育つ、『ドンキーコング』も登場
1981年、電子楽器を使う音楽グループYMOが同じ年に2枚のアルバムを発表しました。テレビでは、鳥山明の漫画を原作とする『Dr.スランプ アラレちゃん』や高橋留美子原作の『うる星やつら』の放送が始まっています。
深夜ラジオでは、はがきに書いた自分の投稿がパーソナリティに読まれる楽しみも広がりました。

近藤真彦の新人賞と、寺尾聰「ルビーの指環」の大賞
前年12月に「スニーカーぶる〜す」でソロデビューした近藤真彦は、1981年も新曲を次々に発表しました。「ヨコハマ・チーク」「ブルージーンズ メモリー」と連続でオリコン1位を獲得しています。年末の第23回日本レコード大賞では、9月発売の「ギンギラギンにさりげなく」で最優秀新人賞を受賞しました。前年の田原俊彦に続き、「たのきんトリオ」から2年連続で最優秀新人賞が出ています。日本作曲家協会
この年の日本レコード大賞の大賞は、俳優としても活躍していた寺尾聰の「ルビーの指環」でした。サングラス姿で低く渋い声を響かせる大人のポップスが、世代を超えて支持を集めています。
ヒット曲の裏側では、歌を作る作家陣の共通点も光りました。「ルビーの指環」を作詞したのは、元「はっぴいえんど」の松本隆です。松本はこの年の7月に発売された松田聖子の「白いパラソル」と10月の「風立ちぬ」も作詞しました。ロックバンド出身の言葉の感覚が、アイドル歌謡の新しい世界を切り開いています。松田聖子公式サイト
YMOが『BGM』『テクノデリック』を発売
YMOは細野晴臣・高橋幸宏・坂本龍一の3人による音楽グループです。前年のテクノポップブームで国民的な知名度を得たあと、1981年にはわずか8か月の間隔で次の2枚のオリジナルアルバムを発表しました。
- 3月21日『BGM』
- 大ヒットした『Solid State Survivor』の後も、重厚な電子音による新たな音作りに取り組みました。
- 11月21日『テクノデリック』
- 工場の金属音や足音などを切り取って反復させるサンプリング手法をいち早く取り入れた作品です。
ファンは最新のシンセサイザーや機材の名前まで調べ、ライナーノーツや音楽雑誌を読み込みながら新しいサウンドを追いかけました。
海外では8月1日、アメリカで24時間音楽ビデオを流し続けるケーブルテレビ局「MTV」が開局します。音楽を耳で聴くだけでなく、映像の演出やファッションと一体で楽しむスタイルが日本にも波及していきました。MTV開局の記録
アラレちゃんはテレビとグッズに。ゲームにはドンキーコング
4月8日にフジテレビ系で放送を始めた『Dr.スランプ アラレちゃん』は、ペンギン村を舞台に少女型ロボットのアラレちゃんが活躍するギャグアニメです。「んちゃ!」「バイちゃ!」という作中の挨拶が全国の小中学生の間で流行し、5年間続く人気番組となりました。大きな黒縁眼鏡や羽根つきの帽子など、関連するキャラクター商品も大ヒットしています。東映アニメーション
同年7月、任天堂はゲームセンター向けの業務用ビデオゲーム『ドンキーコング』を発売しました。樽を投げるゴリラから恋人を救うため、鉄骨のステージをジャンプして登るゲームです。この主人公がのちに「マリオ」と名付けられました。2年後の1983年に登場する家庭用ゲーム機「ファミリーコンピュータ」の顔となっていきます。任天堂の沿革
アニメの情報を専門に扱う月刊誌も相次いで創刊されました。4月に秋田書店の『マイアニメ』、6月に学習研究社(現・ワン・パブリッシング)の『アニメディア』が加わります。先行する『アニメージュ』『月刊OUT』と合わせ、アニメ雑誌の選択肢が一気に広がりました。10月にはテレビアニメ『うる星やつら』も始まり、ヒロインのラムが雑誌の表紙や付録ポスターを飾っています。12月のコミックマーケット19からは東京・晴海の国際見本市会場へ移り、広い展示場で即売会が開かれるようになりました。文化庁・アニメ雑誌の解説
深夜ラジオへの投稿。常連が「ハガキ職人」と呼ばれる
1月1日の木曜深夜、ニッポン放送で『ビートたけしのオールナイトニッポン』が始まりました。漫才ブームの渦中にあったビートたけしが世相や芸能界を毒舌で語る放送に、全国の若者から毎週膨大な数のはがきが届きます。現代ビジネス
毎週のようにネタはがきが読まれる常連投稿者は、ユニークなペンネームでリスナーの間でも有名になりました。こうした常連を呼ぶ「ハガキ職人」という言葉も定着しています。お気に入りの番組を聴くだけでなく、自分のはがきでパーソナリティを笑わせて番組作りに参加する楽しみが生まれました。
SNSでその場ですぐ反応を送れる現在と違い、当時はネタをはがきに書いてポストへ投函しました。翌週の深夜1時にラジオの前に座り、自分のペンネームが呼ばれる瞬間を待つ時間そのものが、当時のリスナーにとって特別な体験でした。
レコード生産は減ったが、テレビの歌番組も見られていた
1981年のアナログディスク生産金額は1,724億700万円で、過去最高だった前年から約4.9%減少しました。生産数量は約1億6,853万枚で、約13.5%の減少です。貸しレコード店の急増やカセットテープへの録音も、レコードの売れ行きに影響し始めていました。日本レコード協会
一方、テレビの歌番組は依然として大きな影響力を持っていました。この年の大みそかに放送された第32回『NHK紅白歌合戦』は、関東地区で世帯視聴率74.9%を記録しています。ビデオリサーチ
レコードの生産統計と、茶の間で歌番組を見る人の広がりは、それぞれ別の動きを見せていました。
この年の主な出来事
- 1月1日『ビートたけしのオールナイトニッポン』放送開始メディア
- 3月21日YMOがアルバム『BGM』を発売音楽
- 4月『Dr.スランプ アラレちゃん』放映開始アニメ
- 5月ぴあが自主製作映画祭を「ぴあフィルムフェスティバル」に改称メディア
- 5月『エレファント・マン』公開。洋画1位の24億5,000万円映画
- 7月「白いパラソル」で松本隆が松田聖子作品に初参加アイドル
- 8月『連合艦隊』公開。邦画1位の19億円映画
- 8月米国でMTVが開局(現地時間8月1日)音楽
- 10月松田聖子「風立ちぬ」発売アイドル
- 11月21日YMOがアルバム『テクノデリック』を発売音楽
- 12月31日第23回日本レコード大賞。大賞は寺尾聰「ルビーの指輪」音楽
- 12月31日第32回NHK紅白歌合戦の視聴率が74.9%(関東地区)メディア
- 通年任天堂がアーケード版『ドンキーコング』を発売ゲーム
- 通年レコード生産金額が1,724億700万円、統計上初の前年割れビジネス
- 通年パ・リーグは日本ハムが優勝、セ・リーグは巨人が優勝スポーツ
この年の言葉
- PFF(ぴあフィルムフェスティバル)
- 情報誌『ぴあ』が主催する自主製作映画祭。1981年5月にこの名称へ改称された
- ドンキーコング
- 任天堂が発売したアーケード用ビデオゲーム。ゲームセンターでキャラクターに繰り返し会う体験を広めた
図の「PFF」は「ぴあフィルムフェスティバル」の略です。情報誌『ぴあ』が1977年から開いていた自主製作映画の展覧会が、1981年の第4回からこの名称になりました。8ミリフィルムで撮った自主映画を審査・上映し、若手の映画監督を発掘する場として定着しています。ぴあの沿革
次の1982年には、中森明菜や小泉今日子ら「花の82年組」がデビューします。音楽をデジタルで再生する新しいメディア、CDとCDプレーヤーが登場するのも1982年です。
よくある質問
1981年はレコードの売れ行きにどんな変化があったのですか?
日本レコード協会の統計では、アナログディスクの生産金額は1,724億700万円です。前年の1,812億3,800万円から約4.9%減りました。生産数量は約13.5%の減少です。
第23回日本レコード大賞は誰が受賞しましたか?
大賞は寺尾聰「ルビーの指環」でした。最優秀歌唱賞は岩崎宏美「すみれ色の涙」、最優秀新人賞は近藤真彦「ギンギラギンにさりげなく」です。作詞家の松本隆も、この年に注目を集めました。
「ハガキ職人」という言葉はいつ生まれたのですか?
ラジオ番組に繰り返し投稿し、番組内で知られるようになった常連投稿者の呼び名です。1981年に始まった『ビートたけしのオールナイトニッポン』の常連投稿者たちの活動から広まった言葉とされます。
1981年のYMOはどんな活動をしていましたか?
YMOは3月21日にアルバム『BGM』、11月21日に『テクノデリック』を発売しました。電子楽器を使った音作りを進めた、同じ年の異なる2枚のアルバムです。
1981年のアニメとゲームで何が起きましたか?
4月にテレビシリーズ『Dr.スランプ アラレちゃん』の放映が始まり、キャラクター商品が大ヒットしました。同じ年に、任天堂がアーケード版『ドンキーコング』を発売しています。



