推し活クロニクル 1984年|チェッカーズと吉川晃司、『ドラゴンボール』連載開始、チケットぴあ誕生、『風の谷のナウシカ』が映画館へ
1984年4月、チケットぴあがコンピュータで座席台帳を一元管理するチケット販売を本格的に始めました。ファンはプレイガイドの店頭や電話予約を通じて、コンサートや演劇の座席を申し込めるようになっています。
歌番組ではチェッカーズや吉川晃司が新しいアイドル像を打ち出し、漫画誌では『ドラゴンボール』の連載が始まりました。同人誌を持ち寄るコミックマーケットも3万人規模へ膨らみ、増え続けるサークルを受け入れるための運営の工夫が課題となっています。

チェッカーズと吉川晃司。歌声だけでなく衣装や演奏も注目される
前年秋にデビューした7人組バンドのチェッカーズは、1月21日発売の「涙のリクエスト」で全国的なブレイクを果たしました。全身タータンチェック柄の衣装やボーカル・藤井郁弥の前髪を長く垂らした髪型も、中高生のファッションとしてすぐさま真似されています。ORICON NEWS
2月1日には、広島出身の18歳・吉川晃司が「モニカ」でデビューしました。水球で鍛えた長身から繰り出すアクロバティックなダンスとロックサウンドが話題を呼びます。本人の主演映画『すかんぴんウォーク』とともに、歌とスクリーンの両面でファンを獲得しました。デビュー曲の記録
TBS系の音楽番組『ザ・ベストテン』では、チェッカーズの3曲が同時にトップ10へ入りました。デビュー曲「ギザギザハートの子守唄」と「涙のリクエスト」、5月発売の「哀しくてジェラシー」の3曲です。ORICON NEWS
ロックバンドの安全地帯も「ワインレッドの心」に続いて「恋の予感」がヒットしました。ボーカルの玉置浩二の艶のある歌声で幅広い支持を集めています。中森明菜も「北ウイング」「サザン・ウインド」「十戒(1984)」「飾りじゃないのよ涙は」を次々にヒットさせました。TOWER RECORDS・Mikiki
チケットぴあが本格開始。電話と店頭で公演を申し込む
4月、情報誌『ぴあ』を発行していたぴあが、コンピュータによるオンラインチケット販売「チケットぴあ」を本格的に始めました。前年10月の劇団四季『キャッツ』専用システムでの試験販売を、一般のコンサートや演劇興行へと広げたサービスです。ぴあ株式会社
ここでの「オンライン」は、インターネットではありません。座席の在庫データを管理する中央のコンピュータと、各地の売り場や予約センターを専用回線で結ぶ仕組みを指します。それまではプレイガイドごとに紙のチケットが割り当てられており、ある店で売り切れていても別の店には残っていることがありました。オンライン化によって、どの窓口からでも同じ空席データを見てその場で発券できるようになっています。
電話で予約する
発売日時にオペレーターへ電話をかけ、公演名や希望日を伝えて予約番号を受け取ります。
店舗で購入する
デパートやレコード店内のぴあステーションに並び、端末からその場でチケットを発券してもらいます。
同じ4月には、電話予約や先行予約を利用できる会員制度「ぴあカード」も始まりました。関西エリアでのチケットぴあ開始は、2年後の1986年4月です。ぴあ株式会社
コミケは3万人規模に。出展スペースと本の運搬を見直す
8月19日に晴海の東京国際見本市会場で開かれたコミックマーケット26には、2,400サークル、推定3万人が参加しました。一方で出展希望が会場の収容能力を上回り、800を超えるサークルが不採用(落選)となったことも年表に記録されています。明治大学米沢嘉博記念図書館
少しでも多くのサークルが参加できるよう、1サークルが使える机の広さを1スペースに制限するルールが始まりました。印刷した大量の同人誌を会場から自宅へ送るための宅配便カウンターが設けられたのも、この冬の回からです。
『ナウシカ』の映画、『ドラゴンボール』の連載が始まる
映画館では3月11日に宮崎駿監督の『風の谷のナウシカ』、7月21日に『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』が公開されました。『ナウシカ』は雑誌『アニメージュ』の連載漫画を映画化した作品で、翌1985年のスタジオジブリ設立へとつながります。『マクロス』では、劇中のアイドル歌手リン・ミンメイ(飯島真理)が歌う主題歌もオリコン週間7位のヒットとなりました。アニメ映画の主題歌が、テレビの一般の音楽番組でも歌われています。スタジオジブリ/マクロス公式
10月にはテレビアニメ『北斗の拳』の放送が始まりました。続いて11月20日発売の『週刊少年ジャンプ』51号では、鳥山明の『ドラゴンボール』が連載を開始しています。東映アニメーション/ドラゴンボール公式
前年発売のファミコンでも『ゴルフ』『ロードランナー』『パックマン』『ゼビウス』などの人気ソフトが次々に登場しました。本体を一度買えば、新しいカセットを買い足して別のゲームを長く遊べる仕組みが家庭に定着していきます。任天堂・ファミコン年表
CDが増え、電話回線で情報を読むサービスも登場
1984年の国内CD生産数量は約637万枚でした。日本レコード協会の統計では、翌1985年には約2,064万枚へと3倍以上に増えています。廉価なCDプレーヤーの発売も始まり、音楽ソフトの世代交代が少しずつ進み始めました。日本レコード協会
11月30日には、当時の電電公社が「キャプテンシステム」の商用サービスを東京と京阪神で開始しました。家庭の電話回線と専用アダプターを使い、ニュースや天気・座席の空き状況などの文字と図形をテレビ画面へ呼び出すニューメディアです。総務省・通信白書/サービス開始の記録
インターネットのWebブラウザが登場するより10年近く前に始まったこの仕組みは、2002年3月まで運用が続きました。
この年の主な出来事

この年の新語・流行語大賞

年末恒例の「新語・流行語大賞」は1984年に創設され、この年が第1回です。新語部門の金賞「オシンドローム」は、NHK連続テレビ小説『おしん』が国内外で巻き起こしたブームから生まれました。流行語部門の大衆賞には、堀ちえみ主演のテレビドラマ『スチュワーデス物語』の決め台詞「教官!」も選ばれています。自由国民社・第1回の受賞語
次の1985年では、『夕やけニャンニャン』からおニャン子クラブが登場しました。ファミコンの『スーパーマリオブラザーズ』も大ヒットした年です。
よくある質問
チケットぴあはいつ始まったのですか?
ぴあ株式会社の沿革によれば、同社は1983年10月に劇団四季「キャッツ」専用システムでテスト販売を行いました。同じ沿革では、1984年4月に日本初のコンピュータオンラインチケット販売として本格的に始まったとされます。
1984年のコミックマーケットはどのくらいの規模でしたか?
明治大学米沢嘉博記念図書館の年表によれば、8月19日の第26回はサークル2,400・参加者推定30,000人でした。同じ年表には、参加を見合わせてもらうサークルが800を超えたことも記録されています。12月23日の第27回からは1サークル1スペース方式になりました。
1984年の日本レコード大賞は誰が受賞しましたか?
日本作曲家協会によれば、大賞は五木ひろし「長良川艶歌」です。この回からアルバム大賞と最優秀スター賞が新設され、それぞれ高橋真梨子『TRIAD』と中森明菜が受賞しました。最優秀新人賞は岡田有希子「恋 はじめまして」です。
1984年にデビューした歌手には誰がいますか?
2月1日に吉川晃司がシングル「モニカ」でデビューしました。この曲はオリコンで最高4位となり、33万9,000枚を売り上げました。前年9月デビューのチェッカーズは、1月発売の「涙のリクエスト」で全国的に知られるようになりました。
1984年のCDはどれくらい生産されていましたか?
日本レコード協会の生産実績によれば、1984年のCD生産数量は約637万枚、生産金額は144億3,900万円でした。翌1985年は約2,064万枚・479億3,100万円で、1年でおよそ3.2倍に増えています。
1984年の新語・流行語大賞は何でしたか?
この年が第1回でした。新語部門金賞は「オシンドローム」、流行語部門金賞は「まるきん、まるび」です。大衆賞には堀ちえみのドラマの決め台詞「教官!」も選ばれています。



