推し活×歴史

推し活クロニクル 1950年代|美空(みそら)ひばりら「三人娘」、街頭テレビの力道山(りきどうざん)、紅白歌合戦の始まり、少年マガジン・少年サンデーが同時創刊

1950年代の日本では、映画やラジオに加え、1953年に始まったテレビ放送が新しい娯楽になりました。テレビ受像機がまだ高価だったころ、駅前や広場の「街頭テレビ」を大勢で囲んで番組を見る光景が各地に広がっています。

店先の街頭テレビを見つめる1950年代の女性たち

歌と映画で活躍した、美空ひばり・江利チエミ・雪村いづみ

美空みそらひばり・江利えりチエミ・雪村ゆきむらいづみは、いずれも1937年生まれの女性歌手です。それぞれヒット曲を持って活躍していた3人は、10代後半になると映画でも共演するようになりました。

美空ひばり

1950年の映画『東京キッド』がヒットし、1952年には「リンゴ追分」が70万枚を売り上げました。

美空ひばり公式年表

江利チエミ

1952年に「テネシー・ワルツ」でデビューし、海外のポピュラーソングを歌う人気歌手となりました。

NHKアーカイブス・江利チエミ

雪村いづみ

1953年に「想い出のワルツ」でデビューし、ジャズや洋楽ポップスでも親しまれました。

ビクター・雪村いづみ

1955年11月1日封切りの東宝映画『ジャンケン娘』(杉江敏男監督)で、3人は初めて顔をそろえます。人気スター3人が同じ画面で歌い踊る構成が評判を呼びました。翌1956年の『ロマンス娘』、1957年の『大当り三色娘』へと共演作が続いています。この3人は「三人娘」と呼ばれ、同世代の女性ファンからも憧れを集めました。NHKアーカイブス「三人娘」

紅白歌合戦はラジオから。年末にはレコード大賞も誕生

第1回『NHK紅白歌合戦』は、1951年1月3日の正月にNHK東京放送会館の第1スタジオからラジオで生放送されました。出場歌手は紅白各7人の計14人です。最初から大みそかのテレビ番組として始まったわけではありません。NHK紅白歌合戦ヒストリー

1953年1月2日に第3回がラジオ放送されたのち、同年12月31日の第4回から大みそかの開催へ移りました。会場も東京・有楽町の日本劇場(日劇)となり、初めてテレビとラジオの同時中継が行われています。NHKアーカイブス「紅白歌合戦の歩み」

1959年12月27日には、第1回日本レコード大賞が文京公会堂で開かれました。水原弘みずはらひろしの「黒い花びら」(永六輔作詞・中村八大作曲)が第1回の大賞に選ばれています。レコードの売上枚数とは別に、作曲家たちが音楽作品を評価して表彰する年末の催しが始まりました。日本作曲家協会

日劇でロカビリーが人気に。映画スターも歌う

1958年2月8日、東京・有楽町の日本劇場で第1回「日劇ウエスタンカーニバル」が開幕しました。平尾昌晃ひらおまさあき・山下敬二郎やましたけいじろう・ミッキー・カーチスの「ロカビリー三人男」らが出演しています。初日に9,500人、1週間で延べ4万5,000人を動員する盛況となりました。nippon.com

彼らが歌ったロカビリーは、アメリカでカントリー音楽とリズム・アンド・ブルースが結びついて生まれた音楽です。10代の観客は激しいリズムだけでなく、髪を後ろへなでつけるリーゼントや細身のズボンにも熱視線を送りました。PBS・ロカビリーの解説

客席からは五色の紙テープがステージへ投げ込まれました。興奮して舞台へ駆け上がろうとする少女ファンも現れ、劇場で声を張り上げて若い歌手を応援するスタイルが注目を集めています。NHKアーカイブス「ロカビリー旋風」

映画では、石原裕次郎いしはらゆうじろうが1956年公開の日活映画『狂った果実』で主演と歌手デビューを果たしました。翌1957年の『嵐を呼ぶ男』ではドラムを叩きながら歌う姿が若者を魅了し、主題歌レコードも大ヒットしています。日活・映画史/NHKアーカイブス「石原裕次郎」

力道山を見ようと、街頭テレビにも人が集まる

1953年2月にNHK、同年8月に日本テレビがテレビの本放送を始めました。当時のテレビ受像機は17万〜20万円台と高価で、一般家庭にはすぐ手が届きません。そこで日本テレビは、新橋や新宿などの駅前や広場に大型受像機を置く「街頭テレビ」を設置しました。国立公文書館

1954年2月、力道山りきどうざん・木村政彦組とシャープ兄弟のプロレス国際試合が中継されると、都内・近郊の街頭テレビに大群衆が集まりました。力道山が空手チョップで外国人レスラーを倒す場面に歓声が上がります。新橋駅西口広場には約2万人が詰めかけ、周辺の交通が止まる騒ぎとなりました。東京新聞

プロ野球では1959年6月25日、昭和天皇・香淳皇后が後楽園球場で観戦した巨人対阪神の「天覧試合」が全国で中継されました。4対4で迎えた9回裏に巨人の長嶋茂雄ながしましげおが阪神の村山実から左翼席へサヨナラ本塁打を打ち、劇的な幕切れとなっています。天覧試合の記録

映画館の入場者は延べ11億人。俳優の所属にも決まりがあった

1958年の映画館の年間入場人員は、約11億2,745万人に達して日本映画史上のピークを記録しました。この数字は延べ人数で、同じ人が何度も映画館へ足を運んだ分も含みます。テレビ放送が始まったあとも、1950年代の映画館は最大の娯楽の場でした。日本映画製作者連盟

一方、俳優が出演できる作品には、映画会社同士の取り決めが関わっていました。1953年9月には、松竹・東宝・大映・新東宝・東映の5社が「五社協定」を結びます。専属俳優や監督の引き抜きと、他社作品への貸し出しを厳しく制限した協定でした。文化庁

どれほど人気のある俳優同士でも、所属する映画会社が異なれば同じ画面で自由に共演できるとは限りませんでした。

アニメーションでは、東映動画(現・東映アニメーション)が1958年10月に『白蛇伝』を公開します。『白蛇伝』は日本初の長編カラーアニメーション映画で、のちにテレビアニメへと広がる制作体制を整えました。東映アニメーション

『鉄腕アトム』を読み、少女誌の付録を楽しむ

1952年4月、手塚治虫てづかおさむの『鉄腕アトム』の連載が光文社の月刊誌『少年』で始まりました。読者が漫画でアトムに出会ったのは、1963年のテレビアニメ放送より11年も前です。手塚治虫公式サイト

少女向けの月刊誌では、1954年12月に講談社の『なかよし』、1955年8月に集英社の『りぼん』が相次いで創刊されました。当時の少女雑誌は漫画だけでなく、厚紙を組み立てる豪華な付録や、少女スターのグラビアで読者を引きつけています。明治大学米沢嘉博記念図書館

1959年3月17日には、講談社の『週刊少年マガジン』と小学館の『週刊少年サンデー』が同じ日に創刊されました。月刊誌の発売日を1か月待っていた少年読者は、毎週水曜日に新しい漫画雑誌を読めるようになります。創刊の記録

『明星』の写真ページと、推しに送るファンレター

集英社の芸能雑誌『明星』は、1952年8月に創刊されました。先行する平凡出版の『平凡』は、1955年6月号で発行部数140万部を突破しています。両誌は歌手や映画スターのグラビアと歌詞付録を読む雑誌として広く親しまれました。田島悠来『出版研究』46号

雑誌のスターを、ラジオでも聴く
雑誌『平凡』写真や記事でスターを知る
→
「平凡アワー」1951年に放送開始
雑誌『明星』歌手や俳優の情報を読む
→
「明星アワー」1956年に放送開始

雑誌と連動したラジオ番組も放送され、読者は誌面で見たスターの声や新曲をラジオでも聴けました。誌面の人気投票とラジオ番組が結びつき、メディアをまたいでスターを応援する仕組みが整っています。同論文

この10年の主な出来事

推しを見る場所が、まだ一つの椅子を奪い合っていた10年
  1. 1951年1月第1回NHK紅白歌合戦をラジオ第1で生放送音楽
  2. 1952年4月『鉄腕アトム』が光文社『少年』で連載開始アニメ
  3. 1952年8月集英社が芸能雑誌『明星』を創刊メディア
  4. 1953年2月・8月NHKと日本テレビがテレビ本放送開始メディア
  5. 1953年9月映画大手5社が五社協定、専属俳優の引き抜きを禁止ビジネス
  6. 1954年2月力道山(りきどうざん)組対シャープ兄弟戦、街頭テレビに群衆が殺到スポーツ
  7. 1955年11月三人娘の初共演映画『ジャンケン娘』が封切り音楽
  8. 1956年1月美空ひばり(みそらひばり)の浅草国際劇場公演が混乱、ファン1人が死亡音楽
  9. 1958年2月第1回日劇ウエスタンカーニバル、1週間で4万5,000人動員音楽
  10. 1959年3月『週刊少年マガジン』『週刊少年サンデー』同時創刊メディア
  11. 1959年6月後楽園球場の天覧試合、長嶋茂雄(ながしましげお)がサヨナラ本塁打スポーツ
  12. 1959年12月第1回日本レコード大賞、水原弘「黒い花びら」が大賞音楽

この時代の言葉

この時代の芸能と暮らしの言葉
街頭テレビ
受像機が家庭に普及する前、街頭や広場の受像機に群衆が集まって視聴した光景を指す
ロカビリー
1958年の日劇ウエスタンカーニバルを機に広まった音楽とファッションの潮流
三人娘
美空ひばり(みそらひばり)・江利チエミ(えりちえみ)・雪村いづみ(ゆきむらいづみ)の3人を指す呼称。1955年の映画「ジャンケン娘」で初共演
五社協定
1953年に映画大手5社が結んだ、専属監督・俳優の相互引き抜きを禁じる取り決め

「三人娘」は人気歌手の組み合わせ、「街頭テレビ」は番組を見た場所の呼び名です。音楽のジャンルを表す「ロカビリー」など、当時の娯楽を語る言葉も広まりました。

次の1960年代にはテレビが家庭へ広まり、歌番組やテレビアニメ、グループサウンズなどが日々の楽しみに加わります。

推し活年表

よくある質問

1950年代は推し活史でどんな10年でしたか?

推しを見る手段が、映画館・劇場・雑誌・ラジオ・街頭テレビに分かれていた10年です。テレビはまだ各家庭になく、人々は推しを見るために外へ出て、大勢で集まりました。

「三人娘」とは誰のことですか?

1937年生まれの美空ひばり・江利チエミ・雪村いづみの3人を指す呼び名です。3人は1955年11月1日封切りの東宝映画『ジャンケン娘』で初共演し、『ロマンス娘』『大当り三色娘』と共演作が続きました。

NHK紅白歌合戦はいつ始まったのですか?

第1回は1951年1月3日にラジオ第1で生放送されました。観客は約300人、出場は紅白各7名の計14名です。大みそかに移り、テレビでも放送されるようになったのは、1953年12月31日の第4回からでした。

日劇ウエスタンカーニバルはどんな公演でしたか?

1958年2月8日に東京・有楽町の日本劇場で始まったロカビリー興行です。平尾昌晃・山下敬二郎・ミッキー・カーチスらが出演し、初日9,500人、1週間で延べ4万5,000人を動員しました。

1950年代のファンはどうやって推しとつながっていたのですか?

主な手段は雑誌の読者投稿欄と人気投票、ラジオ番組への応募はがき、ファンレターでした。1957年には『ファンレターの書き方』という指南書も出版されています。

第1回日本レコード大賞はいつ、誰が受賞しましたか?

第1回は1959年12月27日に文京公会堂で開かれ、大賞は水原弘「黒い花びら」でした。歌唱賞はフランク永井です。レコード会社専属の作曲家団体が創設した賞でした。